<古文書の記述>

相当古くから東海道の名物として有名だったらしく、天正十八年(1591)に 久我大納言が小田原下向の時「瀬戸の染飯で空腹が満つ」と記されている他、 兼相法師も「山吹きの花の染飯 喰いしゃれといへ どこたへず くちなしにして」 と歌っている。弥次さん喜多さんも丸子のとろろ汁の後、宇津の谷峠を越えた 瀬戸の宿で染飯を食べて元気に旅を続けたと東海道中膝栗毛にも記述されており、 更に、「東海道名所図会」(寛政9年=1797)にも「瀬戸の染飯」と書かれており、 藤枝名物の有名さを示している。しかし、東海道の行来も変化し忠臣蔵道中日記を 書いた笠亭果仙は「瀬戸の染飯茶屋が慶応四年ごろまで在りしが、 明治初年頃には店が消え」てしまったと記している。